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作曲を始めたきっかけ(2)

前回は私が作曲を始める下地のようなことを書いたのですが、今回は作曲を始めてから高校卒業の頃までのことを振り返ろうと思います。
中学校の頃、ザ・ベストテンという歌番組を当時毎週のように見ていたのですが、夜のスポットライトという、未だベストテンに入らない歌手の紹介をしていたところで、TMネットワークを初めて目にしました。とにかく、出で立ちから楽曲まで何もかも衝撃的でした。演奏にシンセサイザーとコンピュータを使用していたのを、テレビの画像でまざまざと見せ付けられたのがとにかく印象的だったのです。当時ほとんど無名に近かった小室哲哉という人が作曲をしていたというところも、「ピアノは女の子がやるものだ、男が音楽をやるイメージではない」という既成概念を壊すのに十分でした。正直、小さい頃にピアノを習う勧めを断ったことを後悔しました。でも、コンピュータさえあれば作曲が出来ることが分かったので、今からでも遅くないと救いになる瞬間でもありました。そこで、ピアノの勉強とコンピュータの勉強を始めようと思いました。
妹がピアノを習っていたのでピアノは家にありましたし、古い楽譜やテキストも残っていたので、独学でピアノを勉強し始めました。人前に出て演奏する目的よりも作曲をする目的の方が強かったので、ピアノの勉強という意味ではバイエルより毛の生えた程度で止めています。コンピュータを使い始めたのも実はこの頃からです。中学校の当時の教師がワープロを使っていたことがきっかけで、コンピュータに詳しいクラスメートと友達になり、字が汚い弱点を補えるとか、いろんなことが出来るという目論見で、お年玉と親の援助でパソコンを購入しました。当時、シーケンスソフトを持っていなかったので、プログラミング言語「BASIC」を使ってビートルズの「Let It Be」の自動演奏プログラムを作った記憶が残っています。
高校に入ってから、YAMAHAの「EOS YS200」というシンセサイザーを購入し、作曲を本格的に始めました。TMネットワークのバンド譜を購入し、既存曲のアレンジ研究を始めたのもこの頃です。シーケンスソフトやパソコンとシンセサイザーを接続するMIDIインターフェイスは持っていなかったので、曲を作って保存する、ということはやっていませんでした。また、購入したシンセサイザーは音色がそんなに多くなく、音色の作成も非常に難しかったこともあり、作曲に熱を入れられる状況でもありませんでした。
ここまでの書きぶりからは、中学校・高校の頃は音楽一辺倒であるようにも見えるのですが、実際はそうではありませんでした。当時は弁護士になりたいとも思っていたので、中学校の頃は地域の一番の進学校に入ろうと学校の勉強や塾通いも着実にこなし、小学校時代から続いていたボーイスカウト活動もずっと続けていました。高校は実際に地域一番の進学校に入学することが出来ました。高校の頃は部活動をしていた訳ではなかったのですが、中学校の時は陸上部に在籍し、(成績はともかく)駅伝大会にも出場したこともあります。
ここまでは順風満帆のように見えますが、あれこれ手をつけすぎたせいか、戦略を誤ったせいだと後からは自分ではそう思っていますが、大学入試の時に挫折をしております。一浪しましたが、結局志望校には受からず、滑り止めの大学に入学しました。その時、初めて東京に上京してきました。(つづく)