投稿者「べんさむ」のアーカイブ

斜視の手術(完)

先週の木曜日、眼科から「今度はまた何かあったら来てください」とのお言葉を頂きました。
11月頃から、眼科には3~4週間に1回の割合で通い続け、斜視の度合いの検査と傷の状態を診てもらっていました。眼科に通う必要がなくなったということで、斜視関連の話はこれで終了ということになります。
顔の見た目が改善されたのが自分としては一番良かったです。人の前に出て行こうという意欲が沸いて来て、うれしく思っています。

斜視の手術(続々)+脂肪肝について

先週木曜日に抜糸後初めて眼科の診察を受けました。
検査の結果、手術前14度あった傾きが1度にまで減少しているとのことでした。数字として回復度合いがはっきりと示されたので安心しました。
あと、目の赤みは3ヶ月程度は消えないので、定期的に診察を受けるようにとのことでした。手術直後は白目が殆ど真っ赤であったのに対し、今は、黒目の淵に若干赤みが残っているという感じです。今度は2週間後の木曜日に診察を受けます。

会社の健康診断で肝臓の数値(γ-GPT)の数字が悪かったので、健康診断の再検査を受けたところ、軽度の脂肪肝であると診断されました。γ-GPT再検査後の数値は、会社での健康診断のときの数値より若干持ち直しましたが、それでも基準値を超えているみたいです。最近、食事の量を減らしたり、甘いものを採らないようにしていますが、今後、この調子で取り組みを続けていかないといけないですね。

斜視の手術(続)

斜視の手術ですが、先週土曜日に抜糸を済ませてきました。
糸を抜くと痛みが殆どなくなりました。白目の赤みも少しづつ引き始めています。肩の疲れも殆どなくなった気がします。
今のところ一番効果が大きかったのは、黒目の上下位置が左右両方合うようになったことだと思っています。
あとは今週木曜日再度検診に行って、今後のことを決める予定です。

斜視の手術

斜視の手術ですが、先日無事終了しました。まだ術後3日目なので目が少し疼きます。。。しかも、目が赤いです。。。
右目と左目の上下の位置がずれているので右目を手術して右目の黒目の位置を左目に合わせるというのが手術の内容です。見た目的には黒目の位置が上下揃っているように見えるので、効果はちゃんと出ていると思います。
今週木曜日に通院して様子を見て、問題なければ、今週の土曜日に抜糸になります。

H20年8月 近況報告

暑中お見舞い申し上げます。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

先週3日間ほど、毎年のごとく実家に帰省して休養しておりました。

初日は金沢市内にある母方の墓参りで2箇所ほどお参りした後、2年ぶりぐらいで富山県内にある父方の墓参りに行ってきました。その日の夜に妹夫婦が甥姪を連れて帰省し、裏庭でバーベキューやってお腹満腹にして、飛天にちょっとインした後、あとはずーっと寝ていました。。。
2日目は裏庭に作ったプールで甥姪の水遊びに付き合った後、昼間はネットカフェに行き飛天をやり、夕方前に帰宅して手巻き寿司を食した後、オリンピックを見ながら寝ていました。。。
3日目は故障した実家の電気炊飯器を大型スーパーに持って行き、会社の同僚宛の土産と甥姪向けのぬいぐるみを買った後、別の大型スーパーで父・母・妹夫婦らと食事して、昼はまたネットカフェで飛天した後、夜は冷しゃぶと夏野菜をご馳走になって、その日の夜のバスで東京に戻りました。。。

おいしい物を食べて寝て飛天して、こんなんで疲れが癒せたがどうか分かりませんが、気持ち的には少し落ち着けた気がします。

実は、今年10月に斜視の手術をすることになりました。最近目から疲れが来ることが多くなったと感じていて、うすうす(元から抱えていた)斜視が原因だとは思っていました。今年3月位にネットで見つけた専門医にかかったところ、上下斜視の手術を勧められ、手術の予約をしていたところでした。手術自体は日帰りで行い、抜糸まで1週間、その間2~3回程度の通院で済むので、仕事への負担はそんなに多くないです。
これで普通の人がかかる以上の体の負荷が減れば良いと思っておりますが、目を手術することになるので、若干不安でもあります。ただ、長年悩んできた目の外観上・機能上の問題が解決することに対する期待の方が今は強いです。。。

新PC

新PCの導入が完了しました。音楽制作環境も復活しました。
新PCはdigistremaという代物で50万近くかかりました。お金をかけた分だけマシンが非常に安定していて良いです。TC ElectronicのPowercoreを入れてもカード不認識が発生しないですし、強制終了もほとんど起きません。PC一台だけで楽曲制作を完結させるのに申し分ないと思います。
MUZIEのサイトに楽曲を大量にアップしました。今まで貯めてきた曲をこれからしばらくネット上に放出しようと思います。楽しみにしていてください。

2008年度 近況報告

こちらのブログに近況を報告するのは1年ぶりになるでしょうか…。
現在色々あって、作曲活動は全て停止しております。そもそも、メインPCのOSをインストールし直してしまって、メインPC上では全く音楽制作環境を構築していない状態です。また、最近仕事以外の時間はネットゲームをやっていたり定期的にセミナーに参加したりしているので、音楽制作をする時間も取れていない状態です。
実は、今年の3月を目処に音楽制作用に新たにPCを購入する予定で、そちらに音楽制作環境を構築しなおす方針でいます。音楽制作活動に関して動きがあるのはそれ以降になる予定です。。。

H19春期情報処理試験終了

本日、通称情報処理試験、正確には情報処理技術者試験を受験してきました。ちょうど一年前にも同じ記事をブログで書いていたのを思い出しました。受験したのは昨年度同様、テクニカルエンジニア(システム管理)というものです。昨年度あえなく今一歩のところで不合格だったのですが、今年はどうだったか…というと。
多分昨年度並の出来だと思います。午前問題の択一式、午後Ⅰの記述式、午後Ⅱの論述式、これらの中で確実に問題ない、と言えるものは一つもありません。どこかで足元をすくわれたら即不合格、逆にどれもそつなく点数を稼げていれば何とか合格しているかもしれません。午後Ⅱの論述式は問題テーマがうまくはまり、自分の中ではまとまった構成で論文が書けたと思ったので、昨年度よりは良くなっていると思います。今回は午前問題は直前の1週間に少しだけ時間をかけて忘れない程度に勉強して、午後Ⅰは時間ならしの問題演習も全くせず、ただ素直に問いに答える気持ちのみ忘れず試験に取り組みました。白紙回答にした解答欄は今回はありませんでした。最後は気合で全て解答を書き切りました。今回の試験の状況はこんな感じです。あとは6月末の結果を待つのみでしょうか。

いよいよ4月

いよいよ4月になります。
とりあえず会社の給料は…若干上がって何とかOKですが、来年度は今後のキャリアを見据えて個人として色々活動していこうと思います。
私は、システムエンジニアである会社員としての要素、副業として活動している楽曲提供(作曲・編曲)者としての要素、その他もろもろの要素が絡み合って出来上がっております。来年度の活動を通じて、このポートフォリオの見直しを進めたいと思います。結果的にどうなるかは分かりませんが…そうなった時はそうなった時ですね。
本当は発表をもう少し後にしようと思ったのですが、実は昨年から今年の年末年始にかけた時期に、某音楽事務所に登録という形なのですが、楽曲提供者として名前を連ねることになりました。第一作目は現在レコーディング実施中で、完成後は携帯から配信される予定(時期未定)です。今後、何か動きがありましたら随時発表したいと思います。
また、もう一点報告事項があります。実は年明けに投資用不動産を購入しました。3ヶ月前のBlogでは投資信託の延長線上で個別銘柄の株を購入する、ということを書いていました。しかし、年明けに某不動産業者の営業担当者から引き合いがあって、その時読んでいたロバート・キヨサキ著「金持ち父さん 貧乏父さん」をはじめとする一連の資産運用本を読んだ成果と照らし合わせて、物件自体の(あくまで素人目ですが)評価、業者自体の信頼性など、収益性などを検討した結果、マンション2室分の購入を決めました。結果、保有資産が一気に膨らみました。ただ、購入に当たってかなり長期のローンを組んでいるので、全ての家賃収入が自分のものになるのは(今のところは)遠い先のことです。

作曲を始めたきっかけ(2)

前回は私が作曲を始める下地のようなことを書いたのですが、今回は作曲を始めてから高校卒業の頃までのことを振り返ろうと思います。
中学校の頃、ザ・ベストテンという歌番組を当時毎週のように見ていたのですが、夜のスポットライトという、未だベストテンに入らない歌手の紹介をしていたところで、TMネットワークを初めて目にしました。とにかく、出で立ちから楽曲まで何もかも衝撃的でした。演奏にシンセサイザーとコンピュータを使用していたのを、テレビの画像でまざまざと見せ付けられたのがとにかく印象的だったのです。当時ほとんど無名に近かった小室哲哉という人が作曲をしていたというところも、「ピアノは女の子がやるものだ、男が音楽をやるイメージではない」という既成概念を壊すのに十分でした。正直、小さい頃にピアノを習う勧めを断ったことを後悔しました。でも、コンピュータさえあれば作曲が出来ることが分かったので、今からでも遅くないと救いになる瞬間でもありました。そこで、ピアノの勉強とコンピュータの勉強を始めようと思いました。
妹がピアノを習っていたのでピアノは家にありましたし、古い楽譜やテキストも残っていたので、独学でピアノを勉強し始めました。人前に出て演奏する目的よりも作曲をする目的の方が強かったので、ピアノの勉強という意味ではバイエルより毛の生えた程度で止めています。コンピュータを使い始めたのも実はこの頃からです。中学校の当時の教師がワープロを使っていたことがきっかけで、コンピュータに詳しいクラスメートと友達になり、字が汚い弱点を補えるとか、いろんなことが出来るという目論見で、お年玉と親の援助でパソコンを購入しました。当時、シーケンスソフトを持っていなかったので、プログラミング言語「BASIC」を使ってビートルズの「Let It Be」の自動演奏プログラムを作った記憶が残っています。
高校に入ってから、YAMAHAの「EOS YS200」というシンセサイザーを購入し、作曲を本格的に始めました。TMネットワークのバンド譜を購入し、既存曲のアレンジ研究を始めたのもこの頃です。シーケンスソフトやパソコンとシンセサイザーを接続するMIDIインターフェイスは持っていなかったので、曲を作って保存する、ということはやっていませんでした。また、購入したシンセサイザーは音色がそんなに多くなく、音色の作成も非常に難しかったこともあり、作曲に熱を入れられる状況でもありませんでした。
ここまでの書きぶりからは、中学校・高校の頃は音楽一辺倒であるようにも見えるのですが、実際はそうではありませんでした。当時は弁護士になりたいとも思っていたので、中学校の頃は地域の一番の進学校に入ろうと学校の勉強や塾通いも着実にこなし、小学校時代から続いていたボーイスカウト活動もずっと続けていました。高校は実際に地域一番の進学校に入学することが出来ました。高校の頃は部活動をしていた訳ではなかったのですが、中学校の時は陸上部に在籍し、(成績はともかく)駅伝大会にも出場したこともあります。
ここまでは順風満帆のように見えますが、あれこれ手をつけすぎたせいか、戦略を誤ったせいだと後からは自分ではそう思っていますが、大学入試の時に挫折をしております。一浪しましたが、結局志望校には受からず、滑り止めの大学に入学しました。その時、初めて東京に上京してきました。(つづく)